いのちの期限と猫神様。
春は、子猫の季節です。たくさんの子猫が生まれます。ごはんと寝床の心配なく、ゆっくり子育てできる母猫ばかりなら良いのですがそういうわけではありません。自力で栄養もとれず排泄もできないうちに、誰かの手を借りなくては生きていけない子猫がたくさんいます。
人の手を差し伸べられる子は幸運ですが、そこで試練は終わりではありません。子猫は急変します。3時間前には元気にミルクを飲んでいた子が、気づくとぐったりしてしまい、ほどなく虹の橋を渡ってしまうこともあります。
手を尽くすだけ尽くしても、生き延びられない子がいる。子猫だけではありません。愛情たっぷりにかわいがられている大人の猫でも、ある日突然、橋の向こうに旅立ってしまう子がいる。原因は何であれ、その子に関わった人ができる限りのことをしてあげて、それでも行ってしまうなら、悲しいけれどそれは猫神様が定めた、その子の「いのちの期限」なのだと思うしかありません。
かとおもえば。
「お腹がすいた」と鳴いていたところを1週間探し続けた人に保護される子もいます。それは、この子を心配する人の姿を見た猫神様が、この子の「いのちの期限」を先延ばしにしてくれたということなのかもしれません。
保護される子、されない子、どんな人と巡り合うのか、生き延びられるのか。最後は気まぐれな猫神様の気分次第かもしれない。でも人の努力は猫神様の気持ちを変えるかもしれない。そう思って、今、自分にできることをやるしかないのだと思います。