王子、最後の検査と診察

9月11日に血尿が出てBUN爆上げの後毎日補液を言い渡され、3日ほどで尿の色は戻りました。約10日後の9月23日に再度検査にいきました。

血液検査の結果は、腎臓の数字は元に戻って肝臓も問題なし。体重は2.3kgまで減っていました。だいたい10日で300g減るペースです。吐いているので補液は毎日続けること、食欲維持のためにステロイドも毎日、インターフェロンは隔日を継続。

10月3日、朝ごはんまではいつも通りに食べて吐いていた王子が、お昼前にごはんを食べにきませんでした。どうしたのかと様子を見に行くと、出窓のところで座ったままじっとしているのを発見。呼吸が早すぎます。数えてみたら90回/分は超えていました。

病院の午前の診察は終わる時間、午後の診察は15時から。ところがこの日に限って、16時からどうしても動かせない会議が入っていました。病院連れていきたいけど明日まで待てるのか……悩んでいたらShimonが「どうしたの」と声をかけてきました。

様子がおかしいから病院に連れていきたいけど、どうしても仕事がキャンセルできないというと、しばらく考えて「実家ママに頼んでみればいい、頼れる人がいるなら頼りなさい」と。連絡してみると幸い17時までなら動けるということで、家まで迎えにきてもらい、病院に連れて行ってもらいました。

移動中にメッセンジャーで今朝からの状況と聞いて欲しいことを送信。午後は不在と思っていた院長が幸いいたので、そのまま診察してもらい、状況を逐次送ってもらいました。

肺のエコーをとったら液体が溜まっているようだったが胸水ではなく、レントゲンをとってみたら肺に影があったそうです。

おそらくですが、転移ではなく吐出を繰り返した結果の誤嚥性肺炎ではないかと思います。

いずれにせよ、もうおそらく食べられない、呼吸も酸素室の助けを借りた方が良い、検査は意味がないということは、いよいよお別れが来たのだということを受け入れるしかありませんでした。

送った質問の中に「安楽死を考えた方が良いか」と、どうしても書けませんでした。

だけどそこは実家ママ、きちんと聞いてくれました。そして「安楽死は考えなくても良い、自宅で見送ろう」と返事をもらってくれました。おかげで、この後何があっても病院に連れていくことを考えなくてよくなり、後から思えばものすごく助かったと思います。

仕事の合間に酸素室レンタルの手配をして、翌朝には届きました。酸素ケージを組み立てましたが結局一度も入らず、一緒についてきた酸素マスクを使って時々酸素を吸わせていました。呼吸が落ち着いて目を開けて気持ちよさそうにしていたので、効果があったのだと思います。ちなみに酸素濃度計で測ったらマスク近辺の酸素濃度は40%越えで酸素室と変わらなかったので、ケージ借りる必要なかったかもしれません。

10月4日は終日、水を飲むか寝ているかで過ごしていました。トイレは自分で行って用を足していましたが、夜23時過ぎ、トイレを済ませた後出て来られなくなってそのままトイレで座り込んでしまいました。夜の体温35.9℃。

10月5日朝、体温36.3℃。クローゼット下のいつもの居場所で寝ていましたが、敷いていたペットシーツが汚れていました。その後水を飲みに出てきましたが、その時座っていた場所にも排尿。赤っぽい、薄い血尿のようでした。多臓器不全で腎臓も壊れたのでしょう。

最期は痙攣が来るよと言われて、その時のためにジアゼパムの座薬を用意していました。腕の中で声をあげて手足をつっぱって痙攣しはじめた様子を見て、薬を入れながら、「これで痙攣と一緒に心臓も呼吸も止まるんだな」と思いました。そして3分後に、呼吸が止まりました。

最期は少しだけ苦しませて、そして自分の手で送り出したのです。

 

 

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